小山市
小山市消防本部で開花 ~栃木県小山市
小山三中プロジェクト ~栃木県小山市
★栃木県小山市の取り組み北関東圏の栃木県第二の都市である小山市は県南部に位置し、北関東を流れる利根川水系の一級河川である渡良瀬川の支流の思川(おもいがわ)が市の中心を流れる。 低地からこの思川を臨むと小さな山の形をしている様子が小山の地...
Posted by はるかのひまわり絆プロジェクト on 2015年8月8日
小山三中、小山消防の取り組み ~小山市
2015年7月29~30日
★栃木県小山市の取り組み
北関東圏の栃木県第二の都市である小山市は県南部に位置し、北関東を流れる利根川水系の一級河川である渡良瀬川の支流の思川(おもいがわ)が市の中心を流れる。 低地からこの思川を臨むと小さな山の形をしている様子が小山の地名の起源だとする説があり、1000年前の歴史書にもその名が記されています。
また、思川に加え市の東には田川や鬼怒川が流れ、それらの豊富な水資源は、農業はもとより、市民への供給とともに工業や商業などの源泉となっています。
首都からも程近く、東北新幹線・宇都宮線・両毛線・水戸線の路線を擁し、北関東の玄関口としての役割を担いながら、歴史の深さとともに自然と商工業の共生が住む人を魅了する小山は、過去40年で3割の人口増加を果たす約16万6千人の街です。
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JR小山駅の東に位置し、市内でも人口増加率の最も高い地区にあり、約900名の生徒を擁する小山第三中学校では3年目となる「はるかのひまわり絆プロジェクト」が行われていました。
近年、人口増加に伴い小山三中では生徒数も急増し、様々な問題や課題を抱えていたようです。 人口流入によって従来から暮らす人たちと、新たな住民との生活慣習の違いや価値観の相違による葛藤があるのかもしれませんが、 何より心が揺れ動く思春期には思いもしない問題が起こるものです。
近年 学校内で起こる出来事は学校で解決するべきだという不文律がなかっただろうか? 責任を学校に押し付けた結果、問題を表面化させない力が働くことで、本来解決できるはずの出来事が、悲しい結末を迎える報道が後を絶たない。
現在の学校の原点は、明治維新後の学制の発布に遡る。住民自らがお金を出し合って学校を作り、教師を招聘して子どもたちへの教えを乞うたその姿は、我が故郷の将来を担う子どもたちを、地域づくりの源泉として、総力をあげて守り育てる決意そのものだったはず。
悪循環に陥った小山三中を救ったのは、まさに地域住民だったようです。三支会(さんしかい)と呼ばれるその組織は、小山三中を支える応援団。 厳しさに定評のあった元教諭を校長として迎え、校長が新たに実施する取り組みを支え、現場で子どもたちと対面する教師を支え、もちろん生徒たちを支えるために地域住民自らが作ったのです。
さらに、教支会と銘打ちPTAや住民と先生方との交流会が立ち上がったことは、誤解や疑心暗鬼を根絶し、信頼し会える関係性を醸成し、さらに先生方の社会性の豊かさを育む結果となったようです。 今回、その事務局を担う小林正典さんと熱く語り合えました。
小山三中が「はるかのひまわり」の種に出会ったきっかけは、東日本大震災から3日後に遡ります。
小山消防本部の防災ヘリが石巻市街に飛来し、次々と取り残された被災者を救出しました。そこには副隊長として救助の指揮を執っていた根本真澄さんの後姿がありました。救助された阿部かつ江さんは寒風に晒され震える身体を強張らせながら制服に書かれた「小山消防」とヘルメットの名前を覚えようとしていました。
2年後。阿部かつ江さんは一つの節目として、救助の任にあたった小山消防へお礼の手紙と共に、復興と再生の象徴として心をこめて育てた「はるかのひまわり」の種を同封しました。
根本真澄さんは綴られた文字を追いながら当時を鮮明に思い出していました。 今でも非番にヘリコプターの音を聞くと言い知れない不安に駆られるという根本さんは、2年という時間を過ごした阿部さんに想いを馳せ、同封された小さな種に込められた想いを感じ取りました。
その種は子どもの母校である小山三中に持ち込みました。小山三中は被災地から届いた種を通じて「命の尊さ」「人との繋がり」の大切さを学ぶために、学内のJRC委員会や美化委員会が中心となり全校で育てることを決めました。(JRC:青少年赤十字)
さらに根本さんは、消防本部や分署でひまわりを育てはじめました。その翌年には消防署を通じて市内の全小中学校へ届けられ、育てられているとの事です。 また、消防本部が主催する「市消防フェア2014」では「はるかのひまわり」のブースを設け、パネル展示とともに市消防オリジナルパッケージで種を配布されました。
栃木ボランティア団体 YAMBEを主催する速水英幸さんは東日本大震災を目の当たりにし、自分たちもなにかやらなくては・・・「なんかやんべ」を合言葉に東日本被災地支援の団体を立ち上げ、炊き出しや子どもたちの心の支援活動などを実施しています。
その活動目標は10年継続。言葉にしてしまえば短く簡単なようですが、他府県の支援活動を長期間にわたって行うのは並大抵のことではありません。被災地と団体が、支援し支援される、という関係から、第二の里帰りになるほどの関係性を持つとともに、活動されるメンバーの方々との家族をも超える関係性が、その志を前へと進めるのでしょう。小山三中と小山市立大谷北小学校への種ということで当時リクエストをいただきました。 当日はお名刺を頂いた瞬間にYAMBEの事を思い出し、本当に繋がっているんだなぁとつくづく感じた次第です。
さて、栃木県への訪問は一本のメールによる依頼でした。
根本真澄さんへ訪問の趣旨を連絡させていただき、7月29日の午後7時に小山駅前のホテルで待ち合わせとなりました。 兵庫の神戸空港から茨木空港へ、その後レンタカーで小山へ向かいました。根本さん、小林さん、速水さんに出迎えていただき、その夜は時間を忘れ語り合いました。
全く初めての対面でしたが、いつもながら30分もすると古くからの友人のように感じてしまいます。 それは、プロジェクト理念を理解し、何より故郷を愛し、誰よりも次世代を担う子どもたちの将来性を信じ、人との繋がりの不思議さを体験し、絆とは何なのかを知った私たちだからこそ、杯を重ねるごとに昔からの知古であることを疑わなくなるのです。
翌日は非番の根本さんにご案内いただき、分署に咲く「はるかのひまわり」と対面し、小山三中へ
小山三中では当時、頻繁にメールでのやりとりをしていたご担当の先生ともお会いしました。また、学校より2013年のプロジェクトの全てをダイジェストしたビデオを頂戴しました。
その後、小山消防本部を表敬訪問し、根本さんに見送られながら次の取材地へ向かうことになりました。
今回の栃木訪問は根本さんにお会いし、お話をお聞きしたい一心でしたが、小林さんと速水さんにお会いし、すべての全貌が明らかになり、点と点が線で繋がり、スッキリと気持ちが晴れました。 さらに、石巻の阿部かつ江さんにお会いしたいという想いが益々募ることになった事を付け加えておきます。
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